マシンマンはメタルヒーローじゃないのかしら。
上舞です。
中性的な魅力を持った女性キャラが出てくるたびに「男なんだろ?」「ぐずぐずするなよ」とすぐ掛け合いが始まるのはもう飽きたよ。
というわけで最近の仮面ライダーはほぼメタルヒーローだよねってとこは置いといて。
宇宙刑事は別格、超人機メタルダー・特捜ロボ ジャンパーソンはロボ、レスキューポリスシリーズはよく知らないけど歌はいいね。
こうしてみると特撮メタルヒーローでしっかり観てたのはギャバンとメタルダーくらい。
ほかにも見たい作品はあるので老後の楽しみということで。
んでメタルとは異なるけど、まんま「闘士」ってタイトルがハヤカワSFから出てた。
フィリップ・ワイリーのこの作品は、スーパーマンの元ネタになったともされるのだが、生物学教授の父親によって人工的に造られた超人というところは、キャシャーンをはじめ日本のヒーロー像とも親和性が高いのではないだろうか。
超人テーマSFの古典的名作は、すでに最初期から悲哀の様相を呈していたのだ。
(フィリップ・ワイリーは「地球最後の日」の共著者としても名高い。余談だが2012年に向けスピルバーグがリメイクとのことだがさて)
金属という冷たい鎧を身にまとい闘う屈強な男たちにも垣間見える心の弱さ、それはたとえ中身のない鎧だけの意思的存在であるアジルールフォ・エーモ・ ベルトランディーノ・デイ・グィルディヴェルニ・エ・デッリ・アルトリ・ディ・ コルベントラス・エ・スーラ、セリンピア・ チテリオーレならびにフェースの騎士殿にしたところで空虚で不安定な心の不在感をさらけ出すにすぎない。
闘士というのは金属のように熱く生まれ、叩き鍛えられ成形され、硬く冷たくだが光り輝き生き続けるものなのだ。
Show me the way to you
Lead me now where you are