-ナサンジェル・ワーグラム-
超音速の北方。
1994年夏、まだ消費税が3%だったころ、明貴美加ファースト・イラストレーションズ「超音速のMS少女」は大日本絵画から発売された。
装丁は凝っていてビニールカバーまで付けられているのだが経年変化で縮んじゃったのか表紙がたわんでしまって涙目。
なんか黄ばんでるのはそうかこの頃はまだJPS吸ってたんだなぁと懐かし。
まそんなことは置いといて、なんと十数年ぶりに新画集が発売されたので驚いた。
「MOBILE SUIT GIRL 明貴美加MS少女アートワークス」
価格が100円しか違わないのにボリューム増量でオールカラー、デフレか(違います)。
兵器と少女ってつまるところ戦乙女ワルキューレ的なものに相当するわけなんだと思う。
非生産象徴の具現化である兵器、それによる破壊から生じる経済文明成長と再生の儀式図といったような。
男性性は生まれたその時から死に向かって一直線であり死は一度きりなのであるが、女性性には分娩によるフィジカルに感じられる連続体の可能性があり死は常に内包され続けられているのである。
渦巻く螺旋のように。
ワルキューレに導かれた戦士はヴァルハラにて毎日互いに殺し合い、来るべき戦のため腕を磨いているが、その戦いで死んでも夕方になると皆生き返り回復し、夜には盛大な宴を行うという。
連続性という直接的身体感覚を持ち得ない男性性が目指したところの理想郷というところでもあるのではないだろうか。
新旧MS少女を比較してみると、まず気がつくのは徐々に少女成分が減少傾向にあると見受けられる点である。
いや性的あるいは人的箇所の減少と言おうか。
特に顕著なのがフルアーマー分類されるMSにおいては服飾が足首まであるロングスカートを選択されている点である。
こうなると肌色の箇所は顔と二の腕のみ。
服飾以外に“かわいらしい”という要素しか“少女”いや“生物”を想起させる箇所が無いのだ。
つまりこれは確かに“MS”を描いているものの、けっして“少女”を描いているというわけではなく、“かわいらしい”何物かを表現しているのだということが可能であろう。
最近の流行りに、男女性によらない人類における第三の性別:秀吉とかあるらしいが、このような概念に相当するとみなすこともできるかもしれない。
メカニカル・セクシャルとのぎりぎり境界線上に変容しているように見受けられるこの「MS少女」という概念。
性超越存在の出現をも垣間見えさせてくれているのかもしれないのだ。
しかし戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃんは正直どうなの。
追記:書き下ろし収録はユニコーンデストロイモード。
ユニコモードも欲しかったところ。
全身は購入後のお楽しみで。