2009年10月31日土曜日

移民の歌

目指すは西の大陸だ。



LZ127北方。



北九州国際ビエンナーレ'09 移民の関連企画「中国ドキュメンタリー映画の現在」に行ってきましたよ。

会場はギャラリーSOAPというカフェ。

展覧会は「移民」をテーマにした映像インスタレーションと、中国の現代アート/ドキュメンタリー映画/アンダーグラウンド文化研究者:麻生晴一郎さんのトーク。

上映作品は以下の3作品でした。

・女人50分鐘(女50分間)(監督 石頭/2006年/54分)

・自由城的囚徒(自由都市の囚人)(監督 胡佳/2007年/31分)

・排骨(パイグー)(監督 劉高明/2006年/106分)


なかなか見ることが出来ない、というか自由都市の囚人なんか日本でも上映が難しい映像作品に触れる機会を持ち、有意義な時間でした。

会場狭いんで息苦しく映像が揺れるんで軽く酔ったけど。



「移民」とか日本に住んでるとなじみが無いように思えるが、SF作品にはコイツが出てくる作品は結構多い。

アニメでだって宇宙戦艦ヤマトを筆頭に、機動戦士ガンダムや新世紀エヴァンゲリオンだって見方によれば「移民」を素材に使用している。

実は身近であるこのテーマは、SFを考える上でも意義の深いテーマ性を持つのである。

中国は広い、というか深いなぁ。

2009年10月30日金曜日

恐怖の研究

恐怖とは未知なるものへの恐れというより、既知なるものを失うことへの恐れだ

ジッドゥ・クリシュナムルティ


恐怖は人類の最も古い感情である

H・P・ラヴクラフト


恐怖には二種類ある。そこにあるはずのものが無いことと、そこに無いはずのものがあることだ。

不明




上舞です。



映画「戦慄迷宮3D」を見てきたんですがまぁ期待してなかったとおりでしたよ。

ミラ・ジョヴォヴィッチ主演『フォース・カインド』の予告編が面白そうかなとも思ったけどどうだろう。

アブダクションもののようですが。 


最近怖いものはアニメ「青い文学」の「人間失格」で主人公が描く自画像かな。

鏡とか怖いよ。

不気味の谷現象とかも類例かもね。

物語で怖いと感じさせるものは人それぞれですが、根源的なところはなにかしらあるような気がします。

PAO〜N超心理学コーナーの前に大原松露饅頭のCMがあったせいで饅頭が怖いとか。大平透です。

あと忘れられないのが「まんが日本昔ばなし」の「うしおに」。

欠ける鬼歯とか影を舐められるとか、あと音楽が怖すぎる。

隙間や影ってのがおそらく想像力を掻き立てられる分、恐怖心をあおるのかもしれませんね。


「危機を逃れる可能性がたとえ僅かでもある場合にこそ、人は何としてもそれを達成しようしてパニック状態になる」ともいわれるように、完全な絶望状態は逆に恐怖心を低下させるような気もします。

現代に生きる人々は私などから見れば「怖いもの知らず」な面々が増えてきているようにも思われるのです。

2009年10月29日木曜日

あの大空へ・・・

ギンギラ太陽’s「翼をくださいっ!さらばYS-11」全国ツアー最終公演に行ってまいりましたよ。



上舞です。



見たい見たいと思っていた「翼をくださいっ!」の本編フルバージョンをようやっと観賞することができました。

チケット予約をしてくれた糟屋さんありがとー。

一番ギンギラらしい演目なんじゃないかな(出演者談)とも聞いたのですが、納得の満足のキャラクターオンパレードの泣きの笑いのあふれんばかりの至福のひとときをすごさせていただきました。

本当にありがとう、ギンギラ太陽’sの皆様。

ブラボー!ブラボー!

全国ツアー、お疲れ様でした。


会場前には今回の主役機のふたりの模型が展示してありました。

スカイマークさんとYS-11さんです。

物語は、新規参入した「スカイマーク」を主人公に、引退した国産飛行機「YS-11」をはじめ、廃止された日本初の国際空港「雁ノ巣飛行場」など、60を超える擬人化されたモノ達によって知られざる日本航空史が語られてゆきます。

それでは開演前のお楽しみ、ご存知恒例撮影大会の様子を一部ご覧ください。

西鉄ホールで演ってるのに「西鉄やくざバス軍団」とか言っちゃうんだぜ。

カッコイイ主宰の大塚ムネトさん、お髭がダンディです。

西鉄やくざバス軍団に占拠される西鉄ホール会場。いつもながらにカオスと化してます。

ていうか平日昼間にほば満席ってすごいな!


新型車両だってあるよ。

個性的なギンギラのみなさん、素敵です。

特徴ある側面。

では本編をお楽しみください!

笑いと涙で描く超エンターテインメント作品というだけではモノ足りない地産池消、地元でしか味わえない成分もふんだんに盛り込まれております。

現在にリンクする物語だけに、何度も練りこまれたであろう脚本は、ラストに「雁ノ巣さんの取り壊し後」を書き加えた2008年銀河劇場版ということもあり、非常に高い完成度。

熱量が半端ないです。

前北九州空港も当然出演してましてニヤリですよ。

あと、これは是非とも言っておかなければなんですが、大塚ムネトさんがTVインタビューの時、背景に写ってたNCC-1701 U.S.S.エンタープライズ号の被り物が非常に気になっていたんですが、こ、こ、ここで使われていたとはーっ!

しかも似たようなイントロとともにナレーション付きで金色のあのコスチュームで登場、ノリノリの主催者。

シナリオの流れとはほとんど関係が薄いはずなのに凄く必然性を感じてしまうッ!

HⅡロケット兄弟も出るしね。

ていうかスタートレックネタやりたかっただけだろ~好きだなぁ!!

そうそう、乱闘シーンには颯爽と現れる「ひよこ侍」(今回は侍じゃないが)もいつもに増しての大立ち回り。


というかですね、福岡博多在住の人がうらやましくなるほどの地元愛されっぷりでしてな。

是非とも一度は足を運んでみて損は無い劇団「ギンギラ太陽’s」。

教えてくれた光子企画さんにも改めて感謝です。


今回のディープキャラ「気球さんズ」:動きと満面の笑みがじわじわくる~

佐賀は違うねェ~



まっすぐな翼をひろげ、そう、

飛べる。

2009年10月28日水曜日

な:ナノテクにあき

物質をナノメートル領域において自在に制御する技術であるナノテクノロジーには、コンピューター・建築・医療をはじめ様々な分野での応用が可能であり、まさに極小領域には膨大に活用できる空きスペースが存在することを示唆している。

しかしながらSFにおいてはいささか便利な魔法の道具のようにアイディアが粗製濫造されていることもあって食傷気味でありまたナノマシンかよとちょっと飽きがきていることも事実。

このことから、便利なものでも考えなしに乱発すれば飽きられるということ。



津田です。



といっても現実世界では目覚しい成果を享受するまでにはなかなか至っていないようです。

ウイルスは天然ナノマシンであるとも言われるように、グレイ・グーなどの危険性も考えられるナノテクですが、医療分野では特にがんばってほしいものですよね。

「ナノテクノロジー」という造語を作ったのは日本人みたい。

カーボンナノチューブなど軌道エレベーター建設には欠かせない新素材を生み出す技術でもあるので、今後も是非がんばってもらいたいものです。

2009年10月27日火曜日

帆を張れ

イカリを揚げよう 



上舞です。



今日はキャンバスを張る手伝いに行ってきたよ。

白いマットのジャングルなのかなと思いきや、ジェッソ(白色顔料)という下地が塗られていない亜麻色の髪じゃない布でしたよ。

なかなか上手にシワ無く張るのが難しく絵を描く前に既に疲れてしまいそう。

もちろん現在下地済みキャンバス製品はある。

日本画なんかは下絵にOHP(オーバーヘッドプロジェクタ)を使用する人もいるらしいという話も聞いた。

デザインの世界では昔の道具が使いこなせないということが顕著であるという話も聞いた。

確かに製図などで鉛筆が削れなくてもCADが使えればいいわけだ。

絵筆や絵の具の特性を知らずともコンピューター上で絵は描けるし、正確な文法や言葉使いを知らなくても文章表現はできるだろう。

ようは目的を見失わなければ手段などはどうでもいいとは言える。

より効率的手段が取れるのならばそれに越したことはない。

だが、それで同じものを表現することは出来ないということは、確かだ。

優劣は別として。


SFは絵だという端的な表現から、絵はSFを内包するということも可能かもしれない。

木枠の裏表を間違えたり布を引っ張る道具を逆に使ったり布を裏表逆に張ったり(これは指定)しながら、白く鏡面のように磨いて輝くキャンバスに黒々とした墨汁で画面いっぱいに大きく「白」と書いてタイトルは「99」にすると面白いなぁなど夢想しつつ、煙霧たなびく皿倉の夕闇を観賞して帰路に着いたのであった。



 

2009年10月26日月曜日

30周年記念

世界の謎と不思議に挑戦する学研刊行「ムー」も創刊30周年なんだね。

ムームー。

それはハワイ語で短く切るの意。



津田です。



そういえばウィキもハワイ語で「速い」って意味なんですね。

今年はなにかと30周年ってのが目についた気がする。

まぁガンダムがあったからね。

グイン・サーガとかも(涙)。


小学館「小学五年生」「小学六年生」が87年の歴史に幕という休刊のニュースがあったけど、俺はどちらかというと学研「科学と学習」派。

アニメディアにもお世話になりました。


ムーといえば超能力とか政府の陰謀とか終末論とかUMAとかオーパーツとかオカルトとか怪しさ満載でとても楽しいが家には置きたくない本に分類される(俺の中では)。

でも記念に買っておこうかなぁ。

付録に「コンパクト版ムー」というプレ創刊冊子を復刻したのと古代エジプト最強護符(と書いてある)「ホルスの目」タブレットが付いているし。

そういえば昔、ムー付録のESPカードは何故かウチのトイレに常設してあったなぁ。



最強のエスパー(超能力者)のひとり、笛座輪芸氏の元ネタがウェルズSF傑作選収録の「奇跡をおこせる男」に出てくる議論好きのフォザリンゲー氏だと今気がつくという愚かしさ。

趣味はムーンパズル(でもいつもパーツが数百個あまる)。

関係ないけど「青い文学」で「走れメロス」じゃなく「走れセリヌンティウス」をやればいいのにと思った(文学じゃねぇ)。

2009年10月25日日曜日

五感とSF

ペプシあずき味には小豆は入っていないのになんとなく小豆の感じがする。



津田です。



というように我々人間はいかに視覚に左右されやすい動物かということがわかる。

映像表現において視覚効果といえばSF作品が思い浮かぶことが多いことから、SFは絵であるという言葉にはなるほどうなずかされる。


聴覚的にはSFといえば壮大なクラシックも似合うし、電子音奏でるテクノでもOKだ。

様々な音楽や効果音によって多種多様な雰囲気が表現され、感情が動かされる様はその力の一端を垣間見せている。


触覚での認識は、日常に使用する様々な道具を思い浮かべるとよい。

皮膚感覚を感じさせるようなガジェットであれば、空想上ものでも実にリアリティを感じることが可能であろう。

普段はあまり意識せずバックグラウンドで生じる皮膚感覚は、最重要であるがゆえか実に他者へと伝達しにくい感覚でもある。

痛みの感覚器官でもある。


味覚と嗅覚は特化型の皮膚感覚とも考えられるだろう。

直接生存に関わる、害があるかないか「好きか嫌いか」という本能の感覚だということもできる。

個人的主観や経験に基づく最たるものであるため、再現がかなり難しい情報であろう。

しかしながら料理漫画なんて分野もあり、日本の漫画文化は死角が無いんじゃないかと恐れ入る。


このように視覚以外の感覚を直接のテーマにしたSF作品は思いのほか少ないように思う。

ロボットや人工知能に意思や意識が現在生じないのは、圧倒的に入力される情報が少ないせいだという説もあるがむべなるかな。

スパイクじゃないが、目に頼りすぎなんだよ。カメレオンじゃねえんだ! ということでもあろうか。

お化け屋敷の一種で視覚を暗闇で遮り、ヘッドフォンで立体的な音響により恐怖を増す仕組みをとるものもあるよね。

ひとつの感覚を遮断することで、研ぎ澄まされる感性も、あるのかもしれない。



下記はAXEというフレグランス広告というかページだが、3Dサウンドのコンテンツもある。

さすがにネットで匂いは出せないので聴覚に訴えてるということのかな。

http://www.axeeffect.jp/inthedark/