2011年7月23日土曜日

科学の窓

児童生徒は夏季休暇期間に入ったのかしらね。



上舞です。



独立行政法人 科学技術振興機構 理数学習支援部が提供している『Science Window』ってのがあるんだけど、なんだかちょっと「夏休みの友」を思い起こさせる感じ。
いや別に宿題とかじゃないんだけどなんとなく。

隔月発行科学教育誌Science Window:http://sciencewindow.jp/index

最新号である夏号(8-9月)は特集が「暮らしの中から電気を見直す」と、震災原発事故の余波冷めやらぬ夏を象徴してます。
バックナンバーもPDFファイルで全部閲覧可能、最近じゃブラウザでの閲覧対応が進んでるんで簡単に読めるのが嬉しいよね(小画面じゃ見にくいけど)。
こんなご時世だからこそ、科学に興味を抱き志す子供たちが増えていってほしいもの。

「機械が人間を殺す、そんなことがあってよいものか?科学は人間の幸せのためにこそあるものであり、人間は科学を超えたものだ。そう考え、それを実際に確かめるために俺は科学者になった。科学は俺にとって屈服させるべき敵なのだ」 -真田志郎-

2011年7月22日金曜日

まくらの

今の僕には理解できない



津田です。



ネットをうろちょろしてると時に驚きとともにその深淵に感動することがある。
今日はふと見つけたブログを紹介してみようと思う。

毎日が抱き枕:http://blog.livedoor.jp/toyamayuri/
まぁ一見したところ近頃ではその存在が認知されてきたように思われる萌え系の「抱き枕」を紹介しているだけかのようだが、その想いや考察をつづっている文章がとても面白く興味を引かれるものがあった。
ただの「抱き枕」(失礼!)についてなにか深く語るところがあるのか?という疑問が頭をよぎってしまう凡人脳である俺には思いもよらないような切り口からの普遍的で深淵なる考察が静かな情熱をもって繰り広げられているのである。
Categoriesの、抱き枕コラム・となりの抱き枕er・30センチのアート・死体と抱き枕、あたりがオススメだがSF的には「2030年抱き枕の旅」を推しとくべきか。

共感できるか否かは置いといても、一つのモノにここまで思い入れられるのかと非常に感銘を受けるものである。
というかほぼ哲学の域にまで達してるんじゃあるまいか。

そういえばかつて北方さんは冬月さんに飲み会の席上で綾波の抱き枕を進呈され、それを抱えたまま二次会にまで行ってたよなぁ(遠い目)。

抱き枕って実は歴史も古く、中国では宋代に「竹夫人(ちくふじん)」と呼ばれた竹編みの円筒状の籠を抱いて、暑中に涼をとり寝たという。
抱き枕はアンドロイドの夢を見るだろうか。

2011年7月21日木曜日

ぼくらの宇宙往還機

初号機はエンタープライズなんだぜ(宇宙には行けなかったけど)。



上舞です。



アトランティスが帰ってきて、ついにスペースシャトル30年の歴史に幕が下ろされましたね。
日本時間午後6時57分にフロリダ州ケネディ宇宙センターに着陸した様子は、ちょうどUST中継で見ることができました。
現地では早朝だったようでまだ暗く、ゆっくりと舞い降りたその翼をしっとりと休めるスペースシャトルは、ようやく肩の荷が下りて安堵しているようにも感じられました。
アメリカのみならず世界の宇宙開発のフラッグシップとでもいうべき存在であったと思います。
「コロンビア」「チャレンジャー」「ディスカバリー」「アトランティス」「エンデバー」の五機は、間違いなく一時代を担っていたといっていいでしょう。
お疲れ様です、ありがとうスペースシャトル。

なお現存のシャトルは、

・ディスカバリー:スミソニアン博物館国立航空宇宙博物館別館
・アトランティス:ケネディ宇宙センター一般公開施設
・エンデバー:カリフォルニア科学センター

にそれぞれ展示され、余生を送ることになる。
また現在国立航空宇宙博物館別館展示中のエンタープライズは、同館にディスカバリーが展示されることに伴い、ニューヨークのイントレピッド海洋航空宇宙博物館に移転。

まぁ直立した在りし日のスペースシャトル:ディスカバリーを見たければ、北九州はスペースワールドに来なってことだ。



追記:そうそう、次期仮面ライダー、フォーゼのバイクがマシンマッシグラーっていってなんと今更ながらスペースシャトルがモチーフだぞ!カッコいい!バイクだけは欲しいっす。
あと「宇宙モデルカタログ」っていう現在入手可能な宇宙モノの模型を集めたムックが出てるようです。興味ある方は是非!

「宇宙モデルカタログ」: http://www.amazon.co.jp/宇宙モデルカタログ/dp/4863204604

2011年7月20日水曜日

ポアロは月へ行かなかった

今やこれは常識!!



上舞です。



7月20日は「アポロ11号」が人類史上初めて月に到達、人類が初めて月面に降り立つという偉業を成し遂げた日です。
1969年のことですから42年前のことですな、ふふふ。

そういえば最近なんかアポロ11号映像見たなーと思ったらアレですよ、



トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン http://www.tf3-movie.jp/ ですよ。
2を見てないんで行こうかどうか迷う、がアポロシーンだけでも行く価値はありますかね。
それにしてもアメちゃんは陰謀論好っきやねー。
2011年7月29 日(金)公開。

アポロ11号についてはNASAの動画でも。他のアポロ計画についても見られる。

http://www.nasa.gov/externalflash/apollo11_40/

また行こうよ、月に!

2011年7月19日火曜日

錯視溺れる

アタックライドゥ……イリュージョーン!



津田です。



ちょっと前に、新しく発見された目の錯覚ってのが話題になってましたね。
左右で移り変わる2組の顔写真の中央を見つめると、視界の端では普通の人間の顔がモンスターっぽく見えるというもので、「顔の歪み効果」とか名称がつくのかな。
わーすげーとか思ったが証明写真のような生気のない写真ばかりだったんで単純に見てもモ以下略。

まぁ目の錯覚は数あるけど正確には目というより脳内画像処理プロセスが錯誤するってことなんだろう。
下の錯視はよくある中央を一定時間見つめて目を離すやつだが、視界がうにょ~んってなってびっくりするけど、これは眼球運動が絡んでるのかも。



酔っぱらうと目が回るっていうけど酔っ払いの眼球運動を観察すると面白いように眼球が左右に行き来してるのがわかる。

かようにだまされる五感ってのは面白いもんだけど、五感がだまされやすいのなら直感という第六感やセブンセンシズなんかだってもっと怪しいもんだ。
つまり各感覚器個別ではなく、その総合でとらえた方が世界をより鮮明に受け取れるということだろう。
多数の感覚器官を持ちあまつさえ同じヒト同士ですら感じ方が異なる、というのは環境を多面的に捉えて生き延びるための生存戦略のひとつなのだ。

下記サイトでは様々な錯視や錯聴を体験できる。
特に聴覚に関する錯覚はこれだけそろってるのは珍しいんじゃないかな。

錯視と錯聴を体験!イリュージョンフォーラム
http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/index.html

つうかだまされすぎだろ視覚。

2011年7月18日月曜日

あっ、RGガンダム組まなきゃ

まだ足首しか組んでねぇ。



やることはわかってる北方



日清のCMスゴイね!お台場の感動を思い出しちゃったよ!



ガンダムが、ただ立つだけなのに、なんか泣けてくるのは、なぜだろう。

そしてこちらは力の抜けた「後のせサクサクめぇ」で吹く。



そしてこっちはもうどうしょうもなく最初から最後まで爆笑、だめだこれー。



いやーガンダムって、涙あり、笑いあり。本当にいいもんですね!

2011年7月17日日曜日

上空18km

ちょっと前に紹介した「スペースバルーン」の企画、初日に参加してたんでホントに中継で映るのか見てた。



津田です。



結果↓


おぉっ!一応映ってるぞ~。
スマートフォンの方には問題なく表示されてるようで、一人あたり5~6秒程度表示されていたように思う。
が、記録撮影している方のカメラの調子のせいかノイズがかなり入っていて、しかもいつ表示されるのかわかんないんでハラハラしたよ。
まぁでもなんとか判別できる程度にはキャプチャーできてうれしい。

「北九州SF研、宇宙へ!」と表記されとります。

追記:後日キャンペーンサイト見たら、バルーンから回収された高精細カメラ映像をHD画質で楽しめるアーカイブサイトが8月上旬くらいにお目見えとのこと。
メッセージ表示時瞬間をとらえた壁紙プレゼントもあるようで、こうして結果を総括してくれるのは当たり前なんだろうけど嬉しいものですよね。

http://space-balloon.net/index.html?tm_source=site&utm_medium=csmedia&utm_campaign=cs0001


そうそう、NHKスペシャル「深海大探査」放送終了直後のUSTを見たんですが、
http://www.nhk.or.jp/deepsea/
地球深部探査船「ちきゅう」で、深海の暗黒世界における生命の環境との限界点を調査する、ということは宇宙の他惑星における生命と環境のあり方をも模索することであるという趣旨の話が実に印象的。
海下を見つめて天空を知り、宇宙を仰ぎつつ地上を思う。

方法・方向は違えど、実は到達点は同じという示唆には、なにか染み入るものがあります。