2010年9月18日土曜日

死して乗るバス、熱海の夢

だいたいわか・・・わかるかーっ!!



上舞です。



「熱海の捜査官」全8話で完結したわけですが、表面的に事件そのものは解決したものの、謎の多く残るスッキリしないラストで賛否が激しくわかれるところだろうと思う。
ミステリ畑はよく知らないのでなんだが、これはミステリとしてはどうなんだろう、否定的な意味で。
ツイン・ピークスやアザーズやシックスセンスを連想する人も多かったようだ。
主題歌:東京事変「天国へようこそ」のアンニュイさはPS2ゲーム「RULE OF ROSE」も髣髴とさせるものもあった。

問題のラストシーンは、
事件の共犯者だった東雲が、死んだはずの新宮寺の運転するバスに乗って消失地点に差し掛かるとそこには星崎広域捜査官の姿。
バスは星崎を乗せ、トンネルの中へ。
今どこにいるのかわかっているのかを尋ねる東雲に、まぁだいたいはといつものように答え耳打ちするする星崎、イエスノーランプは青。
東雲が星崎に囁く。
「今、ラインを越えました」
[完]・・・完じゃねぇよ!!

ここのシーンさえなければ単なる駄作で終わってるんだけどこう思わせぶりに終わってるおかげで色々と様々な憶測が飛び交っているというはいはい、釣られた釣られた。
主題歌やドラマの断片事実からの考察により、この舞台である南熱海自体が生と死の狭間にある辺獄のような場所であるとの推察はほぼ間違いない確定事項だろうと思われる。
SF的に飛躍して無理やり当てはめれば、冷凍睡眠中の統合意識的世界とかゼーガでの量子サーバー内部とかそんな感じ、か。
解釈して楽しむぶんには面白いし雰囲気を楽しむドラマだといえばそれまでなのだろうけど、物語としてつくりが甘く結局投げっぱなしに過ぎるうように感じざるを得ない、完成度の低い駄作といわれてもしょうがないと思う。
結末に向けて嫌な雰囲気は感じつつも結構楽しく視聴していただけに、残念でならない。
本当にしっかりしたバックボーンがあるのならあるで、もっと表現の仕方がありえたと思われるからだ。
ないならそれこそやっつけで、物語ともいえないようなものを作った製作者としての良心を疑う。

神林長平作品の「死して咲く花、実のある夢」や「永久帰還装置」に類似性を見出すことができるかもしれないとも感じはした。
近いうちにノベライズとオフィシャル本が出るようなんで、読んでみたらまた印象が変わるかもしれないけれど、TVドラマとしては少なくとも整合性の取れたミステリ・ドラマとしては失格だと感じた事実は拭えない。
オダジョーで熱海と多少の親近感があっただけに、この結末は残念でならない。

まぁもう一度くらいは見返してみるけどな。

2010年9月17日金曜日

生命は溶岩の海に浮かぶうたかたのまぼろし

NHKBShi「スーパーコンチネント ~2億5千万年後の地球~」を録画しといたのをようやく見たぜ。



上舞です。



ニュージーランドとの国際共同制作らしい、まぁ見所はあるんだが演出が助長的で使い回しの映像も多く8月に放映されていたことを考えるに、夏休み子供向け番組としてはよいのではないかと思った。

今から2億5千万年後の地球に帰還した宇宙飛行士“旅人”が、超大陸(スーパーコンチネント)を再び形成している地球上で人類の痕跡をたどるという一応のバックグラウンドストーリーを軸に、かつて大量絶滅が起こった2億5千年前のペルム紀はパンゲア大陸から2億5千万年後の超大陸までを、地質学、火山学、気候学、海洋学、天文学などさまざまな分野の科学者たちがそれぞれの見地から過去を調査することで現状を知り、未来の地球へと想いを馳せるというBBCやNHKではお馴染みの形式だ。

U字磁石のような宇宙船とキレイなボバ・フェットのような宇宙服の“旅人”の姿はこの際目をつぶるとしても、映像的にイマイチぱっとしないしSFに馴染んでいればいるほど特に目新しいところがなくなってくるのはいたしかたないよな。
でもよく引き合いに出される、地球の歴史を1日に換算して考えた場合、人類が誕生したのは23時58分ごろだぜ、といういわゆる「地球時計」の考え方を考え直して、地球の終わりまで見越した場合の時計に換算したアップデート版は考え方として新しくわかりやすく、感心した。
それによると地球の寿命を120億年として、地球誕生から終末までを12時間と換算すると、人類の生存するであろう時間は、4時を過ぎたあたりからの約千分の1秒くらいとのこと。
以前の考え方は未来を想定してなく実に人間中心の考え方でずっと違和感を感じ続けていたこともあり、この考え方を出してくれて非常にすっきりした、とてもよろしい。

しかし以前のパンゲア大陸の時もそうだったみたいなんだが、超大陸を形成しちゃうと水の循環系が単純化してしまって生命的には非常にマズイことになるようです。
ラップ調に言うと、生きてるヤツらだいたいゼツメツ(90%から95%)。特に海死亡のようです(酸素が回らないから)。

たまにはこうでかいスケールから見直してみると、生命現象はダイナミックな地球活動における大陸上の泡沫の水泡のようにはかないものであり、偶然の産物ではあるけど多分ありふれたものであるんだろうなあとただただ感じ入るばかりなりよ。

水の惑星地球も一皮剥けば灼熱の熱量を持った火の玉GUY。
播種という意味合いからも、やはり生命は宇宙空間を目指してしかるべく運命づけられているという想いを新たにするわけです。

しかし“旅人”を放置(3564)して逃げちゃった宇宙船はいったいなんだったのか。
そこの展開にだけは納得いかない、科学特番「スーパーコンチネント ~2億5千万年後の地球~」なのでした。

2010年9月16日木曜日

注意【訃報ではありません】小松左京「宇宙に逝く」

が聞きたいなあ。



スターバード北方。



「上質のSFは、故郷を失い希求する人々の物語という要素を含んでいる」
というネットのどこかで拾ってきてメモっといた言葉があって、いい言葉なんで紹介。
んで、そこにはビクター音楽産業によるAMAGING3と銘打たれた企画モノのレコードの話もあった。
AMAGING3とは日本SF界御三家、小松左京、星新一、筒井康隆のこと。
星新一のは「星寄席」と題された、落語家による星作品の朗読で、「戸棚の男」「ネチラタ事件」「四で割って」などが収録されてるらしい。
筒井康隆のは「筒井康隆 文明」として、山下洋輔らによる「バブリング創世記」のジャズ演奏、自身による「眠る方法」朗読、構成などで川又千秋、かんべむさし、堀晃も参加してるようだ。
そして「小松左京 宇宙に逝く」である。
自ら作・演出・構成を手がけた短編SFドラマに“SF的イメージをどのように音で表現するか、音でどうSFを書くかという部分に力点がおかれている”とも解説にあるように、物悲しくも美しい宇宙を感じさせる横田年昭の音楽で彩られている約40分の作品である。
1978年のレコードだから入手できるような代物ではないけど、横田年昭さんのHPで短いながらも試聴できる。
http://tutibuefuki.inatori.info/discography_61.html
うむっ、なんというかその、ヤマトっぽいよなヤマト。
くすぐったさと気恥ずかしさがない交ぜとなってくるのではあるが、レトロフューチャーを懐かしむのもたまにはよかろう。
スタジオぬえの加藤直之がジャケットイラストで、表紙が戦闘機スターバードで裏面が母艦カシオペア、重厚ですごくカッコイイ。
しかしSFディスコラマ(DISCORAMA)って造語、LPレコード全盛の時代にしては頑張ったと評価したい、けどやっぱり無理があるよな気持ちはわかるけど。
最近じゃA面で恋も出来ないご時勢ですから。

新たなSFサウンドを求めて!(歌は気にするな)



追記:今冬「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の主題歌は、米ロックバンド・エアロスミスのボーカル:スティーヴン・タイラー書き下ろしオリジナル楽曲「LOVE LIVES」(11月24日発売)らしいです。
映画「アルマゲドン」主題歌「I Don't Want To Miss A Thing」のエアロスミスですよね(ドキハラ)。

2010年9月15日水曜日

ラグナロック オフライン

なんとなく岡崎つぐお「ラグナロック・ガイ」を読んだよ。



津田です。



“書庫”からの借り物で「ジャスティ」も借りたかったんだけど3巻が無かった、残念。
北欧神話をモチーフとしつつストーリーはボトムズのような超人兵士ものっぽく進行、マクロス風人物作画と北斗の拳的荒くれた辺境惑星描写がとても昭和感を醸しだしており、非常に懐かしく読めるのであるがこれ当時としての評価は厳しかったんじゃないかなあ。
まぁひたすら主人公ラグナロック・ガイことガイ・グレイバードのハードで孤独な戦いを追っていけば楽しめるのだが今だったらチートすぎるとか言われちゃうんだろうな。
全7巻ですんなり読めて無理なくまとまっているんだけどなんだろう、この普通感は。
超人(超神?)兵士なんでアクションは銃撃と格闘がメイン、戦闘強化服やメカもオンパレードなんだけど亜流スタジオぬえ的とでも申しましょうか、なんかこうモヤっとする。
あと最大のライバルキャラが坊主頭なのがイカンのか、こう敵があまりかっこよくないのもな。
しかし女性キャラは安彦良和のような昭和的エロスが楽しめるんでいい感じですよなかなか。

北欧神話を題材とした作品の中において、なかなかにラグナロクの本質を突いた結末をもってきているとも思うんで、十分楽しむことができました。
久々にいろいろ調べるいい機会になったし。
曜日とか北欧の神々だったんだ。
火曜日→Tuesdayテュールの日、水曜日→Wednesdayオーディンの日、木曜日→Thursdayトールの日、金曜日→Fridayフレイヤの日。
みんな神々の黄昏や世界樹とかも大好きだよね。
ラ…ラグナローック!



―それは…おまえにこの世のすべてを問うことだ…!

2010年9月14日火曜日

故郷は地球

アール・デュマレストはさすらいの渡り者。



津田です。



日本では東京創元社から出ているスペース・オペラ超大作〈デュマレスト・サーガ〉の作者E・C・タブが、現地時間2010年9月10日ロンドン自宅にて逝去、享年90歳。
黒いシックな背表紙と幻想的で美麗な表紙、「~の惑星~」という表記のタイトルでおなじみのシリーズですが、幼いころ偶然地球に来ていた宇宙船に密航したデュマレストが、大人になり望郷の念にかられ故郷へ帰ろうとするけど誰もそんな伝説上の惑星「地球」の座標など知るものは存在せず、孤独な大宇宙の中で果てしない故郷探しの旅が始まったのだ、というストーリー。
原著刊行が1967年、邦訳が1982年からで、1985年の第31巻が1989年に翻訳されている。
2008年に全33巻でちゃんと完結しているのは、とても偉いことだと思います。
いつものように全然読んだことないんですが、光子企画さんによれば今のところ最新の翻訳第31巻「最後の惑星ラニアン」では、さぁこれから地球へ!というところで終わっているらしい。
第32巻"The Return"(1997)、第33巻"Child of Earth"(2008)とタイトルだけ見ればちゃんと故郷、地球へ帰れたのかなぁと思うけどどうなのデュマレスト。
追悼として近いうちに完訳して欲しいところです、がんばれ創元。
いまだ翻訳がなされていないのは宇宙友愛教会(このサーガに出てくる、全宇宙に完全なる友愛を及ぼすことが、すべての苦痛、絶望への解答を握ると主張する宗教団体・・・日本でも最近聞いたような気がする)の陰謀であろうか。

“書庫”には何故か2冊ずつ(巻によっては3冊)あるのでお借りしたい(完訳したら読もう)。


そうだぼくらの故郷は地球。

2010年9月13日月曜日

ゆるキャラは「だーくまたん」で

NHKクローズアップ現代「ダークマター 見えない暗黒物質を探せ」を見たよ。



上舞です。



ダークマターの存在はNHKで特集されるほど一般的になってきたのですねー。
観測結果と理論があまりにも異なることを受けて、いまだ観測されない未知の物質を仮に設定したら上手く説明できるんじゃね?
として仮定された物質をダークマター(暗黒物質)なんて誰が呼んだか知らんけど1933年に提唱したのは、「球形のろくでなし」(どこからみてもろくでなし、の意)というオリジナリティあふれる罵倒語で知られる天文学者フリッツ・ツビッキー。
まぁこのダークマターをもってしても宇宙全体の臨界質量密度の25%しか説明できないことが強く示唆されたんで、それを補うのはダークエネルギーだよ!とか言い出したのが宇宙論研究者マイケル・ターナー(経緯は妄想)。
2009年東大での特別公演演目が「The dark side of the Universe(宇宙の暗黒面)」とあることから、あぁスターウォーズお好きなんですねということがしのばれる。

もちろん反論もあって、おまえら物質とほとんどかかわりを持たない架空物質なんか妄想しなくても全てはプラズマ(宇宙論)で説明できるんだよプラズマ最強、とどこかの大槻教授のようなことをいう学者もいるんだけど、こちらは宇宙マイクロ波背景放射とかの観測事例を上手く説明できないので、現在はダークマター派が主流らしい。
プラズマ派の学者のひとりは「ビッグバンはなかった」(キリッ)とかいう著書があったりして、もうどっちもオカルトっぽくてSF作家はもっと頑張れって感じではある。

で国際的発見競争が熱いダークマター検出に日本も参加してるって話。
日本が誇るスーパーカミオカンデと同じ神岡鉱山の地下1000mに東京大学宇宙線研究所が建設したエックスマス(XMASS)という検出器がそれ。
おまえらどこ探してんの?ってくらいの他国検出器の100倍の敏感な感度を持つ性能のXMASSとは、Xenon detector for Weakly Interacting MASSive Particlesの略。

来月あたりから観測が始まるようなので、今年のクリスマス頃にはXMASSでダークマター観測という神(岡)演出で盛り上げてください。
よろしくお願いいたします。

2010年9月12日日曜日

S(スーパー)N(ネイキッド)T(タイム)、はーじまーるよー

TV版タイトル「魔の宇宙病」は、その閉鎖空間における感染症の恐ろしさとタイムリミットものの緊張感が織り成す面白エピソード、どうしてこうなった。


バイクはネイキッド派北方。



いわゆる登場人物発狂モノ、ドタバタなんである程度レギュラー陣の役割分担とかが定着した後でないとそれなりに効果を発揮しないエピソードのような気がしてたんですが、TNG第三話でいきなり当エピソードに絡んだ話が出てきて驚いた覚えがあります。
まぁオリジナルも7話目くらいだけどな。
くだんの「服を着たままシャワーを浴びた事件」は崩壊中の惑星上観測所で起こった観測員全滅事件。
そういえばTNG時、このウィルス様の病原体はマッコイ作成の処方が効かず新たにドクタークラッシャーが血清を作ったんだが、小説版でマッコイは作成したガス状物質を艦内に流した、マジ天医無法。
半分ヴァルカン人であるスポックやアンドロイド・データにも影響があったこの病原体はしかしクリンゴン人ウォーフには感染症状がなかったことから推測するに、表層意識を崩壊させ深層潜在意識を表面化させる作用があると考察されるんだけど、クリンゴン人はそういう意味で良くも悪くもあまり裏表が無い性質なのかなあと思ったりした。

TV版ではレギュラー陣が潜在的欲求を開放させていく様子が絵的にとても面白おかしいんだが、崩壊惑星へ落下していくエンタープライズを脱出させるため低温状態反物質爆発(?)を行なった結果、時間線を過去へ遡ってしまうという事態も引き起こすという少々構成的に破綻しているのではと疑問が残る。
小説ではここのタイムスリップエピソードは完全にオミットされている代わりに、ドクターマッコイによるこの事件の発端となった崩壊中惑星からサンプル採取した極低温でも凍結していなかった水に関する報告がなされるのだ。
SF的にはこちらの方が正しいとは思うけど絵にならないしな。
小説では事件解決後、崩壊していく惑星を観測しつつそれを頭脳に見立ててリンクさせながら述懐するカーク船長でシメ。

"惑星はひとたび崩壊を開始すると、それはもう、徹底したものだ。だが頭脳の場合は、そうではない。
半分でもチャンスをあたえられれば、頭脳は元どおりに回復する。
ときとして、そいういうことが起こるのである。"




原題:The Naked Time 小説版:はだかの時間
TNG時エピソードの原題はThe Naked Nowなんで、酔っ払ってツイートするトレッキーの諸君は使うといいと思うよ。