そうはいっても飛ぶのもタダじゃない
津田です。
北九州市立文学館に行ってきました。
中央図書館に隣接している、くるっと丸まったアンモナイトのようなトコね。
第五回特別企画展として「生きた、書いた、愛した 女性作家の手紙展」が開催されており興味深く閲覧したのですが、二階の常設展示に夭折の天才発明家「矢頭良一」の手動計算機の実物があり大変心惹かれました。
矢頭良一(やず りょういち 1878-1908)は以前から研究していたエンジン搭載の飛行機の発明を試みたが資金が無く、1901年に小倉の森鴎外を訪ね計算機の模型を見せ協力を要請したようです。
資金を得る目的で自働算盤(パテント・ヤズ・アリスモメトール:Patent Yazu Arithmometer)を1902年に発明し、1903年に特許を得たのですが、くしくもライト兄弟のライトフライヤー号の初飛行成功の年ですよね。
この機械式手回し計算機は歯車式で1個の円筒と22枚の歯車から成り、数値入力方法はそろばんと同様に2進法と5進法を併用。
乗算の桁送りは自動で行われ演算終了も自動であったとされます。
当時最大の8桁までの計算ができ、国産初コンピュータは言いすぎですが、初の機械式計算機を発明したことには間違いなく、外国製と比べても優れていたようです。
当時の価格で250円、約200台が作られ、 森鴎外の協力もあり陸軍省、内務省、農事試験場等に販売され、鴎外の日記には夏目漱石も持ち歩いたと書かれているようです。(携帯には重そうなんですが)
また25歳のとき、現在仕組みは不明だが「漢字早繰辞書」という漢字を手早く引ける辞書を考案し、27歳の時から売り出しています。(今で言う検索エンジンですかね←言いすぎダロ)
資金を得て試作エンジンが成功したものの飛行機の夢叶わず、病にて31歳の若さで没しました。
「飛行機」という言葉を最初に使用したともされるようです。
まったく知らない人だったんですが、こうして現在でも知ることが出来る機会があり、感謝の極み。
北九州市立文学館に寄贈された「自働算盤」は、2008年7月に機械遺産の30番として認定されたようです。
興味がある方は是非一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。