2010年3月20日土曜日

春の嵐から

人は年をとると、青春時代より満足している。(Gertrudより)



上舞です。



ゲルトルートといえばバルクホルン。トゥルーデおねぇちゃんがすぐ念頭にくる春の嵐の中、花粉や黄砂で目にきてる人も多いかと存じます。

け、決して卒業式だからとかじゃないんだからね!


しかしヘルマン・ヘッセ。

ほとんど知らんのだが、日本の検定教科書に掲載され続けている「少年の日の思い出」ってのはヘルマン・ヘッセ全集にも収録されておらずしかもドイツではほとんど知られていないようなんだが、うむ、憶えてない。

中1の教科書らしいがそういえばなんとなく読んだ気もする。

んで、つれづれ流れゆくうちにこんな言葉に引っかかった。

「誰もがミッキーマウスを理解する。ヘルマン・ヘッセをわずかの人が理解する。ほんのひとにぎりの人がアルベルト・アインシュタインを理解する。そしてノートン1世を理解する者は一人もいない。」


ノートン1世・・・誰だ。

本名:ジョシュア・エイブラハム・ノートン

1859年に自ら「合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世」と名乗ったアメリカ合衆国史上最初の
おそらく最後の皇帝。

これ創作なんじゃァと疑ったがどうやらホントにいたらしい。

つうかなにこの愛されキャラ。ギアス持ちなの。

サンフランシスコ在住だった関連だろう、死後もノートン皇帝は1993年にサンフランシスコで開かれた世界SF大会に貴賓として招かれているようだ。

この時彼が現れるために当地の印象深いファンが霊媒を務めたとか。

シルヴァーバーグも短編小説「真夜中の宮殿」でネタに使ってるみたい。


彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰をも追放しなかった。彼と同じ称号をもつ者で、この点において彼以上の者はいなかった


偉大なるアメリカ皇帝陛下へ

乾杯。

2010年3月19日金曜日

ふ:ブラックホール知りたし見る眼は持たず

ブラックホールを研究しているんだが、もう俺は限界かもしれない(マンハッタン計画参画のため)

by J・ロバート・オッペンハイマー



上舞です。



米物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に「ブラックホール」と命名するまで「コラプサー(崩壊した星)」とか呼ばれていたんで超光速航法にコラプサージャンプとかあったよねぇ「終わりなき戦い」とか。

そんな命名しちゃうから学者さんも作家さんも競うように魅了されちゃってるようで妄想も絶えない。

物理法則視点からは、特異点の存在は因果律を破壊する原因になるので避けたいんだけど、一般相対性理論から予想されたブラックホールという特異点の存在はどうしても避けられない。

でも事象の地平面で覆われることで問題にならないよねーとかいってるといやまて「裸の特異点」も考えられるんじゃないかとか言い出したり。

特異点は必ず事象の地平面によって隠されると予想し「裸なのはいけないとおもいます!」(ロジャー・ペンローズ)宇宙検閲仮説を唱えてみたり。

んじゃ「宇宙検閲仮説」は守られるかどうか賭けしようぜと言ったスティーヴン・ホーキングは破れる可能性があるシミュレーション結果を受けて負けを認めてみたり。

そんなことより観測可能な量は質量、電荷、角運動量の3つの物理量だけという「ブラックホール無毛(脱毛)定理」の話をしようぜとか。

いやスカラー場や非可換場、宇宙項その他の組み合わせを仮定すれば「毛」が生えることになるんじゃね、「色ものブラックホール」の「毛」を精力的に研究しようとか。


・・・見えにくい、捕らえにくいものにこそ執念を燃やすんだなぁ、ということ。



最近ではこの現象の一種に特異点を取らずとも成立しうる理論的予想が提示され、ブラックスターと呼ばれたりもしているようですね。

2010年3月18日木曜日

北九州民話大系

北九州で民話とかあんの?見んわ~



フォークテールス北方。



正直若松の河童とかくらいしか知らんのですが探せば結構あるのね。

まぁ詳しくは下記リンク参照なのだが、しかし民話というか物語初期ってのはすごくヤマがないというかオチもないというか結局意味すらよくわかんないというものが多く突っ込みどころ満載で楽しい。

あぁつまりソレですかそうですか。正しい民話レベルなんですかねアレ。

場所ごとにいくつか気になったものをピックアップ。


・門司区:宗童と九十九艘の不沈船団(パクった金を神の恵みに違いないと思い込んで使い込むとは宗童さんパネェっすね)

あと元平家武将平教経奥方で河童の女総帥「海御前(あまごぜ)」の姐さんは、ソバの白い花が咲く時期には(源氏の旗印が白であるため)住処にこもって一歩も外へ出ずわなわなと震え上がりながら過ごすという萌えキャラ。

・小倉北区:超寂しがりやさんヘタレ大蛇の抱き枕石(紫川の蛇渕の大蛇は村人の体に巻き付いたりするのが大好きだが迷惑なので社で奉られ独りぼっち。ある日貴船渕あたりで美しい女蛇にフォーリンラヴ。足繁く通うも女蛇は長期出張で藍島へ。待てど帰らぬ恋しさに泣いて枕にしたという石(ダメすぎる))

南区の貫の夜這い龍とも似た感じだ。

・小倉南区:戦闘村人竹手榴弾(英彦山の親分鬼へ正月手土産に子供をさらった2匹の鬼「みる鼻」「きく鼻」(平尾台在住)が出現しましたが、腐った鰯をおとりにおびき出された隙に村人は子供を救出。怒った鬼は報復行動に出るも竹を焼き待ち構えていたトラップにかかり弾けた竹の爆音と火の粉に被害を被った鬼は逃走、二度と山を下りてこなかった、ということです。ニュースをお伝えいたしました)

・戸畑区: 宿のクチコミ評判 天籟寺【非常に悪い】(夕方のチェックインで一泊。一番鳥が鳴くまでとの契約だったんですが小僧に鳴き真似をさせたり挙句本物の鳥を突付き鳴かせ、契約だからと夜中に出発させられました。まぁ後に聞いたところでは反省して私の神社を建てたらしいんで呪いませんでしたけどね。P.N.菅原道真)

・若松区:必殺!一尺大釘虚空蔵菩薩撃(山伏:堂丸総学のタメ技。高塔山頂上石地蔵前で河童の妨害に負けず祈り続ける→虚空蔵菩薩の背に一ヵ所石がへこむ場所が出現するので大釘を打ち込む→河童は全て異界に封印される)

ちなみに河童たちは日照続きのため高塔山にある池の水を奪おうと戦争しており、大空中戦が繰り広げられたあげく死体は解けて降り注ぎ田畑や作物が荒らされていたという。河童に飛行能力があったとは初耳でした。

・八幡東区:そば食上人様(この話は阿波地方に伝わる「とろかし草」が有名。共通点は蕎麦の食い過ぎでということ。しかし檀家の法事で蕎麦食い過ぎるなよ坊さん)

・八幡西区:華姫と六郎太物語(家来と姫モノ、ちょっと春琴抄っぽくもある。熱病のため目が見えなくなっている華姫を落城から救出しようとする家臣六郎太だが、許婚の桜丸と一緒でないと動こうとしない華姫。一計を案じた六郎太は自分の喉を切り(何故だ)桜丸の声色を使い(どんなだ)華姫を連れ出し逃げ延びるのだが・・・といった粗筋。マゾなの死ぬの(死にます)。)

畑の観音は瞽女観音ともいわれ眼病を治すと伝えられているとか。次のアニメは瞽女ヒロインがはや・・・りませんよねやっぱり。



たまには昔話も面白いものです。


北九州の観光案内 北九州の民話

http://www.city.kitakyushu.jp/page/kankou/minwa/index.html

むか~しむかしのおはなし北九州の民話:リビング福岡・北九州

http://www.livingfk.com/town/minwa/index.html

2010年3月17日水曜日

タイタンの眠れる戦士

まるちぷるたいたんぱー!



津田です。



そんなにタイタン好きかというかネタにしやすくて。

ディックでもあるよねタイタン星人「タイタンのゲームプレイヤー」あぁそうさ読んでないさ。


というわけで今回はザナドゥ大陸はおろか四国白斑なんて地名もある土星衛星タイタンではなく、1982年Avalon Hillより発売のファンタジーボードゲーム「タイタンの掟(TITAN)」。

日本語版に「~の掟」が付くのは一種の誤訳からだと聞くが、そういうのも味があって個人的にはありだと思う。

プレイしたのはリニューアル再販された豪華版を数回程度なのだがかなり面白い。

遊ぶ時間が長くなりがちで十分遊ぼうと思ったら徹夜麻雀くらいの気合が必要なのは難点だが。

88から出てたマスターオブモンスターズ(システムソフト)とかがこの「TITAN」の影響下にあることは明白だが、後発のファンタジー系ゲームにジャンルを問わず著しい影響を与えていることもうかがえる。


でもなく本題は3Dリメイクされる映画『タイタンの戦い』(うちのPCじゃ激重)である。

レイ・ハリーハウゼン最後の劇場用作品で元々『アルゴ探検隊の大冒険』続編映画として企画されていたらしいんだけど見たかどうかは憶えてない。アルゴは何度か見てるけど。

ペルセウスはアバターの人らしく3D俳優とか呼ばれちゃうのかな。

映画『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』とかもあってるしギリシア神話が今来てるのか聖闘士。

パーシーは日本でいうところのラノベっぽいが。

日本でも「アリオン」リメイクとかどうかなほざけ人の子が(←これ本編で言わないんだっけ?)。




個人の自由を妨げると罪になるのさ。それがこのタイタンの掟。

タイタン、土星の月。
昔、心のきれいな勇気に満ちあふれた人々が
この星を切り開き,楽園を作り上げ、
その楽園に今,心の荒れ果てた人々が住んでいる。
唯一の救いがあるとすれば,それは、
死に際に、母に笑顔を見せることが出来た本当の戦士が眠っているということだ。

2010年3月16日火曜日

最古震打瞬速初弾

白いジャズが流れる街で。



津田です。



というわけで冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』一巻目をようやく読み終える。

『マルドゥック・スクランブル』前日談なわけだがストーリー、文体共にこちらのほうが好みかも。

サイバーパンク的というかハードボイルド調というか。

でもやはりスクランブルあっての今作だなぁと思う。

石ノ森章太郎を読んでいるかのごとくでもあるのだ。


そういえば今世間の一部(ほんとごく一部なんだよなぁ)をにぎわせているアノ問題ですが、石ノ森章太郎先生の「コミック表現の自由を守る会」があれば強力な力となったであろうに。

しかしこれ万が一にも通ると↓なんか絶対アウトですよ。

「マルドゥック・スクランブル」劇場アニメ公式サイト http://m-scramble.jp/


しかしボイルドのイメージをゴツイ軍人のおっさんイメージで読んでたんだが、途中アニメ画(セフィロスっぽい)のイメージ入れちゃったんで戸惑う。

読み終わるまで見なければよかった。

絵も功罪である。


さて続きを読みますかね。

2010年3月15日月曜日

超常的な活動

低予算が売りの映画と認識していたのでなんともなかったぜ。



上舞です。



というわけで「パラノーマル・アクティビティ」釣られに行ってきた。

見所はあったし考えさせられるところもあったのでレンタルで見る分にはいやレンタルで見たほうが怖かったかもですシチュエーション的に考えて、悪魔でも(ネタバレ(←うそ))個人の感想ですが。

途中で心霊現象専門家の教授が出るんだけど、人間霊現象と悪魔が引き起こす現象では全く分野が違い専門外ですよとかまるでハードウェアとソフトウェアのトラブルは別ですというサポセンたらいまわしな感じが可笑しい。

しかし宗教を理解してないと悪魔の恐ろしさってのが凄く半減しちゃう。

悪魔憑依は信仰上の試練であり、普通に信心を持って生活している人誰にでも悪魔に憑依されちゃう可能性はありうる、という下地が浸透していること前提のようなのだ(誤解があります)。

神様自作自演お疲れ様です。


いろいろたどっていると憑依というのはなんだかコンピュータウイルス感染状態に似ているような気がしなくもない。

ノートン先生(信仰心)とか入れとけって話だ。

毎週日曜にはミサに行くこと(定期的なアップデート)が必要。

一神教にも啓示とか特別に神が宿った状態なんかもあるけど(有償)、元来のシャーマニズム(共有)とは相性がよくないんだろうなぁとは想像に難くない(違法アップロード/ダウンロード禁止)。

この世は複雑怪奇なんでバグも多いけれど、多種多様性があってそれなりに楽しめると思うんだけどなぁ。

あとはやっぱりこのへんで濃い人間が一杯怖い。


蛇の足:ホラー映画といえば、世界初インターラクティブ・ホラー映画として「Last Call by 13th Street」というドイツ映画が話題になってるよう。

主人公(ヒロイン)からランダムに選ばれた観客に電話がかかってきて(事前登録)観客に助言を求めてくる→アドバイスをすると音声認識システムソフトが観客の命令を拾い、映画に反映されストーリーが展開という仕組み。

ゲーム感覚というかもはやアトラクション感覚ですよね。

映画館で携帯の電源をお切にならないでくださいというアナウンスが聞けるんじゃないかな。

日本でも上映がありますかどうか。


2010年3月14日日曜日

敵については海賊という感じで

「攻撃する相手」を失ったら、自らを異物であると認識するのだろうか。



忘念の北方。



「忘念のザムド」はいろいろあったがこの詩を知ることだけでも意味があったナキアミ。


茨木のり子『見えない配達夫』

敵について


私の敵はどこにいるの?

  君の敵はそれです

  君の敵はあれです

  君の敵はまちがいなくこれです

 ぼくら皆の敵はあなたの敵でもあるのです


ああその答のさわやかさ 明確さ

  あなたはまだわからないのですか

  あなたはまだ本当の生活者じゃない

  あなたは見れども見えずの口ですよ

あるいはそうかもしれない 敵は...

  敵は昔のように鎧かぶとで一騎

  おどり出てくるものじゃない

  現代では計算尺や高等数学や

データを駆使して算出されるものなのです


でもなんだかその敵は

わたしをふるいたたせない

組み付いたらまたただのオトリだったりして

味方だったりして...そんな心配が


  なまけもの

  なまけもの

  君は生涯敵に会えない

  君は生涯生きることがない


いいえ 私は探しているの 私の敵を


  敵は探すものじゃない

  ひしひしとぼくらを取りかこんでいるもの


いいえ 私は待っているの 私の敵を

 
  敵は待つものじゃない

  日々に僕らを侵すもの


いいえ 邂逅の瞬間がある!

私の爪も歯も耳も手足も髪も逆立って

敵!と叫ぶことのできる

私の敵!と叫ぶことのできる

ひとつの出会いがきっと ある。



敵、普段から敵を意識していないからこそ慌てふためくのであって、むしろそれは自己の密接なアイデンティティであり喜び。

外部環境からの入力が、思考や感情を決定する要因でもあり、行動を規定するのだ。

敵とはミラーであり、より多くの自己を知ることができうる。そんな人がうらやましい日もあろう。



花粉症の人は大変ですよね。