2010年11月13日土曜日

魂の充足

古代エジプトでは人はアクト(質料)とカー(形相)とバー(魂)から成っており、プラトンはカーの概念をイデアと訳した。



津田です。



近代哲学的に考えると意識対象(アクト)と意識内容(カー)と意識作用(バー)、物理学的に考えれば物質(アクト)とエントロピー(カー)とエネルギー(バー)に該当すると思われる。
人間が死んでもミイラとして保存すれば、形相であるカーは肉体とともにこの世に残り、バーはあの世に行く。
物理学的に言うならば魂の不滅とは、エネルギー保存則にしたがっていると考えられないこともない。

肉体が完全に滅びてしまえば存在本質のカーだけが残るのであるが、バー(エネルギー)が無ければエントロピーは増大してゆくばかりなので最終的には熱的死を迎えざるを得ない。
そこで考えられたのがご存知肉体保存技術、ミイラである。

そしてこの考え方はヒトそのものだけでなく、ヒトがつくりだす社会という現象にも当てはまるものなのかもしれない。
例えばピラミッドなどの建造物は、エジプト王朝そのもののミイラだとする考え方もあり、なるほどなぁと感心したりする。

魂がどこかへ還ったとしても、依り代たるなんらかの形があれば、バーが永遠の命を携え戻ってきた時には復活するということなのかもしれませんね。
文書や、葬儀を描いた多くの壁画などで、バー(魂)を表現するために使われたヒエログリフは、人間の頭を持ち、鳥(通常、ハヤブサ)の身体をもつ形となっているようです。

我々が知る「はやぶさ」も、永遠の命を得たといっても過言ではないのかもしれませんね、人類が滅びないかぎりは。