忘念の北方。
「忘念のザムド」はいろいろあったがこの詩を知ることだけでも意味があったナキアミ。
茨木のり子『見えない配達夫』
敵について
私の敵はどこにいるの?
君の敵はそれです
君の敵はあれです
君の敵はまちがいなくこれです
ぼくら皆の敵はあなたの敵でもあるのです
ああその答のさわやかさ 明確さ
あなたはまだわからないのですか
あなたはまだ本当の生活者じゃない
あなたは見れども見えずの口ですよ
あるいはそうかもしれない 敵は...
敵は昔のように鎧かぶとで一騎
おどり出てくるものじゃない
現代では計算尺や高等数学や
データを駆使して算出されるものなのです
でもなんだかその敵は
わたしをふるいたたせない
組み付いたらまたただのオトリだったりして
味方だったりして...そんな心配が
なまけもの
なまけもの
君は生涯敵に会えない
君は生涯生きることがない
いいえ 私は探しているの 私の敵を
敵は探すものじゃない
ひしひしとぼくらを取りかこんでいるもの
いいえ 私は待っているの 私の敵を
敵は待つものじゃない
日々に僕らを侵すもの
いいえ 邂逅の瞬間がある!
私の爪も歯も耳も手足も髪も逆立って
敵!と叫ぶことのできる
私の敵!と叫ぶことのできる
ひとつの出会いがきっと ある。
敵、普段から敵を意識していないからこそ慌てふためくのであって、むしろそれは自己の密接なアイデンティティであり喜び。
外部環境からの入力が、思考や感情を決定する要因でもあり、行動を規定するのだ。
敵とはミラーであり、より多くの自己を知ることができうる。そんな人がうらやましい日もあろう。
花粉症の人は大変ですよね。