2010年2月20日土曜日

く:クローンものに不可

同一起源かつ均一遺伝情報を持つ個体集団がクローンなのであり、例えばヒトクローンをつくったからといって記憶が同一であったり感性が似ていたり外観が似ているといったことは、そのような操作をしない限りは残念ながら全く無く、全然違う生物になっちゃう。

なので特に倫理的問題なんか無いように思えるのだが、同族嫌悪感を刺激されるのか倫理や宗教的にNGであり理解以前のレベルで拒絶反応が起こることが多い。

このことから、論理的には真理ではあっても感情的反発から真実が見えない、また見つけることを拒絶している状況もありうる、ということ。



津田です。



無性生殖、つまり単細胞生物の通常の細胞分裂は天然のクローンであるということが可能だ。

遺伝子が同質ということはどれだけ分裂して数が増えたところでひとつの個体だとみなすことができ、分裂を続ける限りその全部が破壊されなければ遺伝子的に不死であるともいえよう。

逆にひとつであるがゆえに、そのひとつの遺伝形質が環境変化にそぐわない場合は影形無く消滅だ。

ちょっと吸血鬼っぽいと思ったり。

一方、有性生殖の場合は己の半分を切り捨てて他者を受け入れることにより、多様性を獲得しつつ子孫を残すことが可能だが、それは自己というオリジナルの積極的な死滅を受け入れるという選択だということでもある。

物語に出てくるような感じのクローン人間を成立させうるためには自意識転送やコピー技術が必要であり、自己意識というのはモノではなく各細胞間及び外環境との連携性における一時的な流動存在であるがために、宇宙か次元がもう一個いる。

エネルギー効率的にとても無駄なのだ。

クローンとはプラモデルのようなものであり、同一遺伝子(金型)から打ち出されたものであっても、制作環境が異なるがゆえ作り上げればひとつとして同じものは無く、それは不可逆という死を受け入れることにより、愛によってオリジナル(原型)とは全く違った存在を得ることができるものなのである。


臓器のクローンは有用であるので、部分的ヒトクローン技術の開発はもっと推進されてしかるべきであると考える。

子供の臓器移植手術のために寄付まで募って、他人の子供の死をひたすら願い待ち続けているという悪魔のような所業よりも、よほど人道的かつ倫理的なように感じられるのだが。