2009年12月14日月曜日

番組は誰の為

考え方の一つとしてスポンサーの為であるというのは間違いない事実である。



通りすがりの罪を数えて三千大千世界北方。



「仮面ライダー×仮面ライダー W(ダブル)&ディケイド MOVIE大戦2010」を観てきましたよ~。

ネタバレ有りで書くのでそのつもりで。

多分評価悪いと思うし(主にディケイドの)実際その通りではあるんだろうけど、俺には面白かったぜ!

夏の分のパンフレットと一緒にDVD付きのパンフ買っちゃったよ(通常版と内容は一緒。DVDはメイキングと劇場予告だけなんで通常版で十分かと)。


さて、メタ的視点で自分には十分楽しめたのであるが、一体どこをそんなに気に入ったのか。

・鳴滝の正体:おのれディケイドーでお馴染みの彼はもちろんディケイドに何の恨みがあるのかなんて最後までわかんないし根源的なその正体が示されるはずも無いのだが、コレは一部の特殊視聴者層の擬人化としてみればあぁ自分も近しいところにいるのかもなと実にしっくりきた。

否定してたくせに最後はなんか楽しそうに物語の一部と化していたところとか。

・ディケイドは何を破壊したのか:自分のヒーローが倒されることに嫌な気分がしないものはまぁいないだろう。そんな彼にそもそも物語は不要で、ただ今までのライダーを否定するだけの存在でしかない。

しかし否定する為にはよりよく深くその対象を知らなければならないであろう。

つまり仮面ライダーを誰よりも熟知していなければ他のライダーを倒すことはできない。

要するに制作サイドであるという見方も可能であり、新しい仮面ライダーを作りたいまたは見たいと願うならば、今までのライダーとは違うものをと考えるのは当然の帰結といえる。

全てを破壊すれば新しいものが創造しやすいのは自明の理であろう。

・そもそもなぜそれぞれの作品世界は消滅の危機にあったのか:古い物語は過去のものとなり消費され浪費され思い出の中にのみ存在し新たな視聴者が開拓されることはなく朽ちゆく運命にある。徐々に語られなくなる物語のひとつの類型であるということである。

・破壊による再生とは:既成概念の、古い価値観の、淀んだ空気の払拭であり、新しい血を取り入れる為の儀式的な破壊には生贄が必要となる。それが世界の破壊者ディケイドであり、スポンサーに莫大な金を貢ぎ挙げることに成功し、十二分に良くも悪くも“仮面ライダー”の知名度を引き上げたのである。

もちろん、悪魔のやることに反発しその酷さにもうライダーは見ない!って人も多いだろうが、同時に自分の仮面ライダーはこんなんじゃねぇと原典を見直す人もあるだろう。かくいう自分もクウガの扱いの酷さから、わざわざ見返した口でありなんだ見事に術中にハマっていますよ 。

そう、ディケイドは見事に各作品に光を当てなおし、多くの物語を人口に膾炙させその世界の再生を成功させたのだ。

その上、生み出された新たなライダーの玩具売り上げは好調だと聞く。

全ての橋渡しをするために生み出された使い捨ての存在であるディケイドに世界や物語はそもそも不要なのである。

全ての仮面ライダー世界に依存しているだけの存在だった、のだから。

旅をしてゆく物語が好みだということもあるが、自分は好きだぜディケイド。

いい完結編でした。



世界の破壊者ディケイド、その瞳はなにを見る?

三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい:高杉晋作