2009年11月6日金曜日

ツイッターは実用的なテレパシーか

みんなそんなに人と繋がりたいのかねぇ。



津田です。



そんなにも見ず知らずの他人とコミュニケーションが取りたいのであろうかと思うが、ゆるいつながりとも表されるように無責任なコミュでいいじゃないかということなのであろうか。

もしくは単なる覗き趣味であってテレパシーというよりもクレヤボヤンス(透視能力)の方なのか。

振り返るに前インターネット時代にはダウンロードオンリーユーザーは毛嫌いされたものだと記憶しているのだが、世間にはこんなにも自分を発信したい人が多かったとは正直驚きを隠せない。

これが世代が違う若さってことか。

振り向かないことはある意味美点だが省みないことと同義ではないと思うのだが。

もちろん手軽なツールが増え選択肢の幅が広がるのは良いことだが、安易で考えなしの低い交流に流れてばかりいっているように感じられるのはエントロピーの関係で詮無いことなのかもしれない。


でも対面コミュが苦手な人もいるだろうからそれはそれで需要が高いだろうし非常に使えるツールだろうことは想像に難くない。

いってみればソレはなんのことはないツールなのであるし使い方次第だ。

が、なんだろうか俺には居心地が悪そうで気味が悪い世界に思えてならない。

別にツイッターを悪く言っているわけではなく、自分がそう感じる理由は何かということについて関心を持っているのである。

自分が、なぜ、そう感じるのか。

自分なりに納得したいという欲求があるのだろう。


つまり久しぶりにしゃっくりが止まらなくなってコップの反対側から水を飲むと治るという民間療法を勧められ効いた時のあの笑いたいようなそうでないような変な気持ちはなんなのか、とか。

脳が悪いのかもしれませんよね!