津田です。
一口にSF研っていっても様々だ。
SFは元々小説の一ジャンルであったことは間違いない。
だが現在は小説にとどまらず多様な表現方法の中にSF的手法は取り入れられ、SFとジャンルを銘打つにこだわる必要性は特に感じられないだろう。
SF研究会とは既にスポーツ研究会と同様な意味合いを持つに至っているのであろう。
概念が広範囲すぎるのである。
また逆に個々の作品群構成に組み込まれた一部品であり調味料的存在としてSF手法が使用されることも多く、それをもってSFだというのは醤油を使っていれば全てが日本料理だというに等しいであろう。
つまりSFは作品全体の一要素でありそこだけを抜き出して研究するような小範囲の研究だとも捉えられるかもしれない。
多種多様であり様々なアプローチが可能なこのジャンルは拡散しつつも浸透していき、馴染み深くなるほどにわからなくなってゆくという全くもってSF的な構造をも孕んでいる。
思考停止が即消滅の危機にあるような、鮫のように上手に泳ぎ続けなければ死んじゃう存在なのである。(注:洒落が含まれています)
現在、大学系サークルにSF研が存在するとしても形骸化しているだけで全然SFを研究して無いよねと断言しても過言ではないと思う。
しかしながらここがまだまだチャンスであるともいえる。
まったく知らない人を言葉巧みにSF魔道に陥れるのだ。
間違えた、素晴らしく輝かしいSFの世界に誘うのである。
でもそんなんでハマるひとは元々何らかの素養がある人なのでよりディープについていけない彼方へ行った時に引きずられる恐れがあるかもしれません。
遠くから生暖かい目で見守りつつ自己鍛錬に励む方がなにかと心的健康には良いように思います。
Subculture Fiction
SF脳がいなければつくりだす。体調がよければそんな方法も試したいとは思うのですが。