2011年4月27日水曜日

Jディステンパー・セット!

つうわけで今年も再興第95回院展を見てきた。



上舞です。



何度か足を運んでると、同人(どうにん=院内序列最高位)の作家さんは毎年似たような感じの画題が多いことに気づかされる。作風ということなのか見出した一つの美に対してとことん追求するという姿勢が、日本画の特徴の一つであるのかもしれない。

フェノロサが優れていると評価した日本画の特徴として、

・写真のような写実を追わない
・陰影が無い
・鉤勒(こうろく、輪郭線)がある
・色調が濃厚でない
・表現が簡潔である

というのがあるが、この定義にしたところで近年技法の幅の広がりからか、例外的な作品もあると聞く。
たとえばプロジェクターなどを用いて輪郭線を描かないという表現技巧など。
だから現在では“日本画”というのは、日本画材料たとえば日本製の岩絵具など粒子径の大きな顔料を用いた膠絵具(ディステンパー)で描かれたもの、ということにでもなろうか。
つまり比較的高価なこれら日本画材で描いたものであれば、萌え絵だって日本画なのである。
痛日本画とでも言おうか。認められるかどうかはさておき。
逆に、どんなに伝統的構図と画題に従って描かれた純日本風の絵であったとしても、それがCGや他の画材を使って描かれたものなら日本画ではないということに。

“SF”というジャンルにしてもあいまいでありもはやそれを定義づけることに意味はない、とする意見もあろう。
しかしながら、確固たる“SF”としてのアイデンティティを常に模索し続けるという姿勢を持つものを受け入れ難しとするのは、知性にかける態度であると言わざるを得ない。
両態度のうちにせめぎあい、多様性を保ちつつ調和させていくことを試みてこそ“SF”というジャンルがより豊かに発展開花していくに相違あるまい。
常に再定義をしていくことにより、常に新しい。新陳代謝のように変化しつつも変わらないということは、可能なのである。

絵画とは、一見して通り過ぎ去ることも可能ながら、その実壮大な物語空間を背景に持つ。
同様に、小説の物語空間中には、心に永遠に留め置かされる印象深い絵画要素を数多く内包する。

SFは絵だねェ、この名言は逆説的に絵画にはすべからくSF要素を見出すことが可能だということを、暗に示してもいるのだ。

(えー)