2011年2月21日月曜日

Trigger -銃撃手の記憶-

トリガーマン!の続きは(禁句)



津田です。



未完の帝王がひとり、火浦功の作品にトリガーマン!ってあったなー。なー。

さて。
我が北九州市は残念ながら発砲事件が絶えないというイヤ~な土地柄。全国区のニュースではヤなニュースの方が多く流れる都合上いたしかたないとは思うが、それにしても多すぎなんじゃないかな。
自然災害が少ない分、人災が多いのか。

ゲーム「クロノ・トリガー」は時間移動モノのSFRPGで名作だよって糟谷さんには進められてた気がするけど、どうも鳥山明の絵がダメだったのが原因の一端でもあったようで結局やってない。

アーサー・C・クラーク(とマイクル・P・キュービー=マクダウエルの共著)にはそのものズバリ「トリガー」って本がハヤカワ文庫から上下巻で出てた。
この小説には非常に魅力的なガジェットが出てきて、その新しい技術的発明・発見が社会にどのような影響を与えてゆくのかということを考察した、一種の思弁小説であるともいえよう。
とある粒子放射機を作動させたとき、周囲数百メートル以内のすべての火薬が発火するという事態が起こる。
「トリガー」と名付けられたこの装置は、既知の手段ではその効果を妨害できない。つまり範囲内すべての火薬を無差別に発火爆発、無効化することが可能なのだ。
史上最大の銃社会、アメリカならではの命題を持ったSFであるなぁ。
この兵器破壊装置っていう存在は、日本人の感性からいえば、「銃がなければ刀を使えばいいじゃない」または「(ミノフスキー粒子のせいで)レーダーや誘導兵器が使えないならモビルスーツを開発すればいいじゃない」という方向になり、花火が見られないとは夏の風物詩が減ってしまうねぇというなんとも平和ボケしたSFになっちゃう。(そして謎のレーザーテクノロジーかなんかで代替品のエレクトリック花火とか作っちゃうんだぜ)

人はみな、心にトリガー<引き金>を持っている。それは決断である。
“銃”とは映画のために生み出された最高の小道具である、とは誰の言葉だったか忘れたが、非常に時には非情なまでの、命をも奪いかねない強力なコミュニケーションツールなのであろう。
引き金に指をかけないことも、ひとつの決断だ。
しかし、トリガーはけっして心の中から失くしてはいけない。
たとえ錆びつき用をなさないものになってしまったとしても、失くしたくはないものであるのだ。