2009年1月30日金曜日

霜焼けお手々がもう

かゆ・・・うま・・・


北方でく。


2、3日前かフグ毒のニュースがあったんですが、ゾンビ・パウダーの主成分はフグ毒の成分であるテトロドトキシンが含まれているとされてるようです。

でも実際にゾンビ・パウダーに用いられるのは毒を持つフグではなく(毒は無い)ハリセンボンだとか。

で、まぁこの毒素で仮死状態にし、酸欠よる脳(前頭葉)へのダメージで自発的意思のない人間、ようするにゾンビを作るってわけだ。

現実でもフグ毒は主に呼吸器系の麻痺を引き起こし、死亡に至らせることが多いみたい。

のうダメージ、でも人間的には死亡、みたいな(うまいこといったつもりか)。

かんかんのう踊れ(父さん酸素欠乏症で・・・)




『哲学的ゾンビ』という心の哲学で使用される概念というか用語があるのですが、これは行き着くところ「クオリア」(感覚質)の問題に集約されるようです。

意識の問題と言い換えてもよいのでしょうか。

外部刺激(情報)を身体の感覚器が捕え、脳に伝達する。

するとすぐに何らかの「イメージ」や「感じ」がわきあがる。

例えばある波長の光を視覚刺激として脳に伝達されたとき、その刺激を「赤い」と感じれば、その「赤い色」の「感じ」は意識体験の具体的な内容のことである。

この「赤い」なぁって「感じ」こそがクオリアの一種である。

「特定の物理的状態がなぜ、どのようにして特定のクオリアを生じさせるのか」という問題。

そしてこの「クオリア」をもたない「哲学的ゾンビ」とは外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、内面的な経験(現象的意識、クオリア)を全く持っていない人間と定義される。


自分は「物理領域は因果的に閉じていない」との主張が興味深いと感じるがどうだろう。

「クオリア」は「時間」の概念とともに変化生成される可能性を思いついたので記しておく。