目だ!
津田です。
映画「ミラーズ」を観てまいりました。
感想:あーなんかゲームっぽい。
びっくりどっきりはあるんですが、恐ろしさの質が想像とは違いました。
怖くなくてある意味ほっとしましたが。
全然違うんですがなぜか「ナイトミュージアム」を思い出しましたよ。
子供部屋に日本アニメのポスターが張ってあったのが印象的でした(ツバサ・クロニクルとネギまかなぁ)。
あまり関係ないとは思いたいんですが、これから連想するにゲームとかアニメみて映画作りたいと思って作ってるんじゃないかと。
そんなことないとは思うんですが、最近の漫画やアニメやライトノベルやゲームその他創作物のなかには、漫画やアニメやライトノベルやゲームを楽しんだ世代が、そのものを手本に作っている感じがしてどうしてもそれは劣化したものに過ぎないように思えてならないのです。
映像は凄い、面白くなりそうな要素はちりばめられているにもかかわらず、いまいちしっくりこない腑に落ちない、納得のいかない作品になってしまっているのが残念でなりません。
しかしながら、それが面白い良いものだとする人々も多くいて、それが間違いだというつもりは毛頭ありません。
問題は、面白さの質を自分なりにちゃんと考えているか否か、という点です。
かつて自分も読書感想文が大の苦手で、面白いというだけではなぜいけないのか、と思ったものです。
なぜなのか。
もちろん今でも解らないから考え続けていますが、理由のひとつはなんとなく思いつきます。
これが、なぜ面白いか、楽しいかを考えないだけなら別にあまり害はないんです。
しかし考える力をここで養っておかなければ、嫌なこと、不の感情のことを冷静に考えることが難しくなるだろうことは予想に難くありません。
ひいてはそれは考えなしの暴力や身勝手な言動になり、ゆくゆくは集団を巻き込んだ暴力行為、戦争へとも発展しかねないことだからです。
・・・ということで、「生まれ変わるなら二次元に生まれたいですよ」との後輩の言動に対し、「お前はゲルニカの中にでも入ってろ」と素敵に突っ込む先輩などに恵まれ、今日に至る。
ミラーマンの「二次元人とのハーフ」という設定は、今でこそ生かされるかなと思い立つも、いやそんなことは気の迷いだと忘れるのでした。