2008年12月16日火曜日

侵略者の行方

上舞です。

アーケードビデオゲームの元祖はピンポンかブロック崩しかと思っていたけれど、「コンピュータースペース」というのがあったようだ。

しかしながら一世を風靡したといって差し支えないのが『スペースインベーダー』(タイトー)であることに異論は無いだろうと思う。

シューティングの元祖でもあるこのゲームだが、ちょっと考えると結構特殊なゲームであることがわかる。

シューティング、レース、格闘にいたるまで、ほとんどすべてにおいてまぁゲームなんだから当然なのだが“勝つ”ことが目的となっている。

言い換えれば(コンピューターを含む)相手を打ち負かすことにカタルシスがあるといえる。

確かに侵略してくるインベーダー(敵)を一定数打ち倒せば次の場面に行く。

しかし『スペースインベーダー』はあくまでも防戦一方なのである。

ゲーム上表現がされていないだけで、ハードウェア上の制限で。

もちろんそういうことも出来るだろう。

だが次第に難しくなってゆく局面、残機という後の無さ、崩れてゆくトーチカ、攻め込まれている表現。

なんといってもループするがゆえに決して勝つことはないこのゲームの性質。

ハイスコアを出すことが目的であったのだ。つまりは他のプレイヤーを仮想とした対戦でもあったのだ。

ほんとうにそうなのですか?

たとえカウンターストップスコアに到達したところで、やめればあなたの負けなのだ。

とてもよく似た性質のゲームでこれも非常に流行ったが、「テトリス」とかが挙げられるだろう。

こちらはパズルゲームという違いはあるものの、性質がよく似てると思われてならない。

あなたはいま「狩る」タイプのゲームなどが流行っているとは思いませんか。

RPGには特にその傾向が強く見受けられるような気もします。

それともそれはある種の恐怖への裏返しですか・・・