北九州SF研究会 門野 集
大津波によって家族はおろか村まで一族みな流された。偶然にも高地に逃れられた私も、焼けつく大気の高温と熱波で息も絶え絶えだった。恐ろしい地鳴りに絶望が私の全身を苛んだ。が、それでもその理不尽さに抗うかのように、激しい怒りの咆哮を絞り出さんと天を睨みあげたそのとき、焼けただれた私の全身は災禍による痛みとは違うチクチクとした感覚とともに、黄金色の光に包まれていった。
「君は時空連続体に干渉するのかね」
「いや。これは試料である」
私の夢の中で相対する二人が永きにわたる語らいを静かに繰り広げていた。耳は聞こえず目も見えずとも理解できるとは不思議なことだと感じつつ、ぼんやりと私の意識は遠のいていった。
次に目覚めたとき私が強く意識したのは、足元から見上げている白銀色に鈍く輝く硬質感を持つ異形のものの視線だった。
「あなたの種族は大変な危機に瀕している」
部分的に欠損の見受けられる脆弱そうな体躯のそれは、抑揚乏しく私にそう語りかけてきた。その声には底知れぬ力を感じたが、単に私が心身ともに弱りきっているせいか、気力が麻痺しているせいかもしれなかった。だが恐怖は微塵も感じない。
呼吸をするたび気泡で目の前が揺らぐ。湖に潜ったときの記憶がよみがえる。
「これを見てほしい」その異形は言った。
押し寄せる大水は海岸線の地形を変え、唸る地鳴りは山を砕き大地を割った。つんざく風は雷雲を呼び、黒い空から振り下ろされる雷は林野に火を放つ。
ここがかつて我が一族の生息地だったとは、にわかに信じがたい光景だった。
遠く山間部の形状からそれと知れるのだが、見知ったはずの山頂からは赤黒い熱石と不吉な黒煙が絶え間なく吐き出され、一円の大地と空を重く染め上げていた。
高速度で映り流れゆくその光景はめまいにも似た浮遊感をもたらし、夢のように実体を伴わない現象だということは理解できるものの、私の肌は逆立ち、無力感とないまぜになった焦燥を掻き立てられるばかりだった。
詩吟様の声が私の頭蓋を震わせた。
―あなたの存在は外部機構により一時的に支援・強化されています―
徐々に状況が呑み込めてきて、理解が心身に浸透していくような感覚だった。これはそう、訓練をしていた投石が、ある時を境に急激に上達したときの感じに似ている。
映像に圧倒され終始無言のままの私に構わず、淡々と先が続けられた。
「あなたの一族の一部、また連山が盾になって衝撃波を免れた北部一帯に繁栄している類似近隣種族は、この大災害を今のところ生き延びている。しかし……」
私の視界は地上から徐々に遠ざかっている。雲を抜け、空の青はその濃さを増し続け、やがて暗黒に縁どられた白と青の水球を映し出す。
「……次のバティスティーナ小惑星族の到来が、あなたたちの種が滅亡する原因の決定打となるだろう」
暗く荒々しい岩石塊は、大きくも儚げに見える水球目指し進み、わずかな尾を引き落着し、周囲を赤くおぞましい病根に変えた。
「時間をさかのぼって提示しているこれが今回の災厄を引き起こした惑星近傍天体であるが、衛星引力により二分割崩壊したうちのひとつで、小型の方である」そして次に落着するのはその四倍規模の、とすでに私の視感覚を超越した荒々しい破壊者の存在が知覚野に提示された。
「メテオライト・シヴァである」
私には選択肢が二つ与えられた。
なぜ私が選者として選ばれたのかという疑問はあったが、あなたは特別ではない、という異形の発言者の答えは、なぜだか私の心を幾分か納得させてくれた。
まず一つ目の選択肢は、所有者〈ポゼッサー〉と名乗る彼らと同等の存在になり、生き残った私の種族を導く守護者となる道だった。シヴァ隕石が私たちの居住星に落着すれば、まず間違いなく現生物群の様相は大変容し、私たちの種に連なる生物の知性進化は絶望的になるだろうことが所有者〈ポゼッサー〉により明らかにされた。ゆえにさらなる災厄が到達する前に私たちの知性原種を選択抽出し、衛星にある“ゲート”を通り、別太陽系居住星において種繁栄の営みを紡ぐのだ。
彼ら所有者〈ポゼッサー〉とて不滅の存在ではないが、自らの所有を放棄できるその時までは、膨大な力で生命種を導くことができる。魅力的といえる提案だった。
もう一つは、私たちの種を決定的絶滅に至らしめる次の隕石落着軌道を逸らすことで災厄を未然に防ぎ、元どおり変わらぬ生来の居住星上での進化発展を遂げさせ、知性進化の可能性を見出す、という選択である。
私自身も地上に帰され、個としての生を全うできる可能性を残す。この邂逅の記憶を残したままでもかまわないし、意図的に忘却もできるという。
だが、今後とも種としての進化が無事滞りなくおこなわれるという保証は今まで同様どこにも、ない。彼ら所有者〈ポゼッサー〉は今件では完全に通りすがりの旅人であるのだ。
発言者はさらに言う。
「もしあなたの種がこの惑星上で絶滅した場合、あなたがたの食料のひとつにもなっている哺乳種がその間隙を埋めるように進化する可能性が高いだろう。しかし、その魂〈アニマ〉のかたちは全く異質なものというわけではなく、大局的にはやはりあなたがたと似たような魂〈アニマ〉を形作ると類推され、この惑星の知的種族として分類する場合、我らはどちらも同質のものとみなす」
最初の選択をすれば故郷を失い、現時点での生命の多くを見殺しにはするものの、二系統の知性体が生きながらえる機会を得、時空間的に隔たれるものの知的生命存在の多様性や生存の可能性は増す。さらに新たな所有者となる“私”という守護も得る。が、私たちの種族としては誘導進化されたものとなり、私個人も永きにわたる不可逆な恐ろしいまでの変容を免れ得ない。
目前の危機回避を優先させれば、種固有の進化は保たれ、独自性は失われず、“私”としての個人個性を失うことも、ない。が、未来は変わらず不確実性が高いものとなり、それはまた今までどおり滅亡の可能性と背中合わせの歴史を、薄氷を踏むかのごとく歩むということでもある。
私は……
「でさ、今季の大統領はやっぱマーマリアン(哺乳類型)・ヒューマノイドが変身してんだよ! 温暖化対策とかいって哺乳種族を優遇してどうすんだってね。軌道エレベータも宇宙から俺達を絶滅させるための陰謀なんだよ!」授業中、オカルト雑誌を先生に没収されたちょっとエキセントリックな級友は早口にまくしたてると、憤慨しつつどたどた職員室へ向かっていった。あの先生、実はオカルト好きだから気が合うかもな、と僕は思った。
まーたあいつかーと言いながら、幼馴染の悪友が僕の机にひょいと腰かける。
「今日は放課後どうすんだ? 科学部か? アミューズセンターに最新VRゲームが入ったらしいんだが、どうだい?」彼は頭の真っ赤な羽振りを良くなでつけ、おごるぜ、と言って派手に格好をつけた。
「ごめん。昨日の帰り、ホミを拾っただろ?あいつ結局うちで飼うことになったんだ」
今日は餌だのトイレだのいろいろ用意しなければならない。
あーあれね、と言いつつ悪友は目線を宙に泳がす。そういやこいつはホミが苦手だったっけ。
「うちは犬がいるけどまぁ動物はいいよな。最近散歩に連れてってないけどなー」
「ちゃんと連れてけよ」僕はため息をつく。
ざわついてる放課後の解放された雰囲気の中、きょろっとした目をさらに吊り上げながら、学級委員長がつかつかと一直線に歩み寄ってきた。
「こらっ、あんたは校庭の掃除当番でしょが!」
彼女は箒と塵取りをぎゅっと奴に押し付けた。諦め顔で悪友は、じゃあまたなーと退散していった。
まったく、平和だ。
彼女はくるっと僕の方に振り向き直ると、
「ホミ、飼い始めたんだって? 何色なの?」と話しかけてきた。
「黒、だよ。あぁっと目の色も真っ黒なんだ」と首筋の鱗を緊張で強張らせながらも答えると、彼女は笑顔で自分の飼っているホミの話を始めた。
ホミ飼い友達が出来たようだった。
暮れゆく夕空の雲に、吸い込まれるように伸びる一筋の銀糸がきらり遠くに見える。
自室からサンデッキへ出ると、餌を食べ終えた黒ホミがよたよたついてきた。フェンスの隙間から落ちないように、明日にでも防護ネットを買ってこなければ、と僕は早くもペットに対して過保護になりつつあるようだ。
黒ホミを抱きかかえて二階からの景色を眺めさせる。
「お前に名前を付けてやらないとなぁ」
定期的に軌道線を上下している可変構造駆動体が夕日を反射する様は、日没を幻想的なものにしている。多くの命を救ったという昔話に出てくる銀糸を繰る蜘蛛のようだ。
建造が始まったばかりの軌道エレベータだが、その宇宙側先端ステーション部から延びる対隕石迎撃用スリングショットシステム実験もすでに開始された、とのニュースも伝え聞いていた。大統領の肝いりでようやく実現化の目途がついた対外宇宙災害防衛構想である。
もし、太古に僕たちの祖先が滅びるくらいの巨大隕石が落ちてきていたら……ホミの黒毛を撫でながら夜のように暗い瞳を見つめてみる。
その時はお前たち哺乳種族が収斂進化して、知的生命体としてこの星を支配していたのかしらん。
フムン、まさかね。
オカルト好きの級友の悪い影響かな。
「そうだ」僕は古い遊星神の名前を思い出した。伝説の神獣“猫”の名前だったかもしれない。
「良い名を思いついたよ」
黒ホミは平和そうに鳴いた。
私は自らの選択をした。
竜族〈レプティリアン〉の未来の可能性を信じて。